五、南京政府を対象とする対支政策は不合理

 

なかんずく先ほどちょっと申しました共産軍は国民政府にとりまして最大の癌であります。一九三一年の五月に第四次全国代表大会という大会を開きましたが、その大会で南京政府の方が悲鳴を上げています。その悲鳴の言葉の中に「共産軍のために毎年五百万の支那人を失っている」ということがありますが、その意味は共産軍に吸い取られるという意味であります。次にまた「すでに八十億元くらいの財産が共産軍のため奪われている」という風な悲鳴を上げております。共産軍の勢力は政府軍の攻撃、国民の経済封鎖にかかわらず逐年拡大強化されつつあるのであります。福建省の西の江西省の南に瑞金という所がありますが、その瑞金には中華ソビエト臨時政府という真っ赤な政府が出来ております。そしてその政府の下に共産軍が約三十万ほど出来ております。しかもこの共産軍は先ほど申し上げました南京政府の攻撃が振るわぬために逐次拡大してまいりまして、今や西の方ソビエト領にも接近しておりまする新疆省から甘粛省、陜西、湖北、江西を経て復権に貫くこの真っ赤な帯で支那の胴体をくくりつけようというような状態まで発展しております。従来支那の人民は軍閥闘争の犠牲となって生業はこれがために奪われる軍閥の苛斂誅求を受けてまいっておりますがために支那の中間階級というものは没落して参っております。そのために貧富の差というものは非常に大きくなって来ました。というのは、農民はいわゆる軍閥のために生存を脅かされ、農村は次第に崩壊されるということになってまいります。この間隙に乗じて赤い手がグングン伸びて参って折るのであります。かくのごとき支那の情勢、この情勢を静観して我々はいかなる対策を講じたらいいのであるか、極東の平和を維持するために最善の方策を如何にしたらいいのであるかという問題であります。以上、随分くだくだしく支那が非常な奇妙な実体である一つの胴体に沢山の首がくっついているという非常な奇妙な実体であるということを申し上げた所以のものは、従来支那に対する政策を考える人は多く対象を中央政府に求める、ところが日本の国のような近代的な国家に対してならそれでよいのであります。しかるに支那の中央政府というもの、つまり現在の南京政府、これは一つの擬制的な政府に過ぎないのであります。実質上はーさも人民と政府の間はいわゆる水と油の関係にある、しかのみならず将来は統一よりは却って分裂の趨勢を辿りつつある、しかるにこれを支那以外の近代国家と同じようにみなして対支政策をこの南京政権すなわち南京政府を対象として立てるのは果たして至当であるかどうか、この点に私は多大の疑問をもっているのであります。今までの対支政策がかくのごとき胴体にくっついている沢山の首の中の一つの首を相手にして方策を考案しておったということが今までの対支政策の振るわなかった最大の原因ではなかったかと思うのであります。

 

六、抗日政策の基調をなす帝国主義打倒と遠交近攻方針

 

現在支那に多大の関心を持っている人でも支那と言えば即ち国民党政府と解している、支那と提携するといえば、この国民党政府と連携するという風に考えている人が相当におるのであります。しかしながらこれは支那の本質から申せばただの支那の一部に過ぎないから、この南京政府と手を握ろうという風の考え、また南京政府を対象として対支政策を考えることは、これは支那に対する政策の一部に過ぎないと私は思うのであります。しかしながら国民党でもこれをなんとか今後真実日本と手を握って東洋の平和のために尽くそうという見込みがあるという風ならば、これはやはり努力しても差し支えが無いと思うのでありますが、しかし私の考えでは、結論から申し上げますれば、こういう国民党は匙を投げてよいものであろうと考えるのであります。すなわち私が考えればもう前科数犯の男であって、もう見込みが無い、不良性が病膏盲に入っている、かくのごとき国民党を相手として、これを善導しようとか、善導ならまだよいが、かくのごとき不良性のものをば相手として日本の大切な対支政策を決めようとかするがごときは根本的誤謬であると私は考えるのであります。なぜ国民党が私の申しましたごとく不良性であるか今国民党という首の対外政策は、帝国主義打倒、不平等条約撤廃、すなわち革命外交によって国権を回復する、国際地位を高めようというのが現在国民党のモットーであります。支那が結んでいる種々の不平等条約、これは即座に蹴飛ばしてしまうやり方であります。これは孫文がロシアの共産党を利用しようとした親露政策の流れであって当時ロシアから教えられた方式であります。この前私が国民党のある要人に会って「どうもお前等の国民党はこれは駄目だ」という話をしたところが、「いや、現在の国民党は悪い、しかしながら孫逸仙当時の国民党の考えは現在の南京政府要人の考えとは非常に違う、あの孫文の考えに返したら国民党は決して悪い物じゃない」こう申しますから、私は「孫文が第一悪いのである。現在支那は共産軍のために非常な脅威を受けている、この脅威たるや支那のみならず東洋の平和に非常な害を及ぼす癌である。日本としては非常な迷惑を被っている、しかしながらこの共産軍を産んだのはこれは孫文である。孫文が共産党を利用しようと思い、ロシアを利用しようと思って軒を貸し、利用しようと思ったのが却って反対に利用されて、軒を貸して母屋を奪われたという形になっている。例えば共産党と手を切りロシアと手を切ったけれども。後へ残ったところの共産主義が逐次拡大していって現在の共産軍を産んだのである。だからしてこの孫文が第一私は嫌いだ」ということを申したことがあるのでありますが、現在の国民党は共産党とは喧嘩しておりますけれども、その政策はロシアから教わった政策をそのまま実行しているのが現在の国民党の政綱であります。この政策、つまり打倒帝国主義、不平等条約撤廃という原則が実際の政策の上にいかに現れたかと申しますと、これが支那古来のいわゆる伝統政策である夷を以て夷を制する、言葉をかえて言えば遠交近攻という支那古来の伝統政策と一緒になりまして、帝国主義打倒という政策と遠交近攻という政策と合流してこれが抗日政策となって現れてきたのであります。

 

七、対日策転向の必要を感じながらも実行出来ぬ国民党の立場

 

あたかもよし、支那における各国の勢力は非常な複雑な関係で相対立しております。その情勢に乗じて支那が英米と手を握って日本を駆逐しようというのが支那の対日政策の起こりであります。まずこの英米と手を握って日本を叩こうといういわゆる遠交近攻の政策、これは国民党が出来て十数年間採用してきた方法であります。満州事変が勃発しますと支那側は国際連盟およびアメリカと手を握って、これに縋って日本を牽制しようと努力した事は皆様御承知の通りであります。満州事変は支那側の不法行為によって起こったのであります。支那側に不法行為が累積したのに起因するのであります。従って帝国が自衛手段によってその生命線を確保するということは、これは中外に憚ることなく、俯仰天地に恥じない行為でありますが故に、第三国の干渉、それらの不当な圧迫にかかわらず日本は挙国一致敢然としてこれを排撃致しました。従って支那の狭い策略は不幸にして何らの功を奏しなかったのであります。そこで最近に至って支那の要人連中もこれを感じて何とか政策に多少の修正を加えねばならぬという風に思っている人もないではありませんが、しかしながら何分従来の行き掛かりがあるために、今さら悪かったと言って自分の政策を改めることは出来ない羽目に陥っているのであります。というのは国民党のいわゆる抗日精神、これは国民党の指導原理であります。十数年間この政策を固く守って、そしてこれをもって国民党の政綱としているのであります。またイギリスやアメリカ等と手を結んで、それ等を利用して日本を駆逐しようと今までずっと続けて来ております。イギリスやアメリカが支那における利害関係が日本と反対である。しかし日本は逐次支那に発展をしている、支那が英米と手を握って日本を駆逐しようという政策は、これは英米が非常に喜ぶところであって英米も非常に今まで力を入れていたのであります。従って国民党としては英米には随分今まで取り入っています。もう俺は日本に対する政策は変えたから、お前の方は御免だということを言うのには余りに腐れ縁が深すぎているのであります。従って国民党がいかに日本との関係を良くしなければならないという考えがあるにしても、これを制することは国民党の政治生命を無くするものであって英米等とは今さら手を切ることが出来ないくらいの程度に深入りしているのであります。

 

八、要路に親日派を配し対日空気の緩和を図る国民政府

 

日本が満州事変、引き続いて熱河作戦をやり、熱河作戦から関内に飛び出して今や目の前に北京、天津を睨むというところまで出て行きました。ここで支那軍は到底これは日本軍の敵ではないということを自覚すると共に、支那が頼ろうとした英米はいくら泣きついてもウンともスンとも言いません。初めの間は随分スティーブンソンはいわゆる満州に起こった新しい出来事は認めないという風ないわゆる脅迫的な宣言を出し、大西洋の軍艦を太平洋に集めて、いかにも日本を打つような態勢を示したけれども、日本はビクともしません。それ以来、アメリカも知らぬ間に黙ってしまいました。あの時には随分日本でも神経を尖らせていたのでありますが、私どもはいかにアメリカが軍艦を太平洋に集めて来ても、太平洋を横断して日本を攻めるにはその力が無さ過ぎる、軍艦のトン数では日本よりは多いかは知らぬけれども、速力は速い奴と遅い奴といろいろ混ざっています。そういうような軍艦で太平洋を横断し日本を攻撃しようと思っても、どうもマラソン競争の選手と跛(ちんば)と一緒になって太平洋を横断するようなものでありますから、到底戦争はやりっこはないという風に多寡をくくっていたのでありますが、今までアメリカが何とか言えば日本はすぐ参っておりました。ところが満州事変以来日本はいかに脅しても、圧迫をやっても跳ね飛ばしてしまったので、到底終いには脅し文句の看板も下ろしてしまいました。熱河作戦が始まったから何とかこれは言いそうなものだと支那は淡き望みをもっていたのでありますが、その時も一言も言わないという風なわけで、これはどうしても支那としてはこの上日本に盾突いた日にはどんなことになるか分からぬ、頼みとしているアングロサクソンも一向支那を助けようという風な気配が見えない、これは当分の間日本に神経を刺激させんようにしなければならないというわけで、現在南京政府の行政院長ーと申しますと日本の総理大臣であります、それに汪精衛(=汪兆銘)をもっていっていわゆる外務大臣も汪精衛に兼ねさす、北支那には黄郛をもっていって、そして日本との直接面に当たらせるという風のわけで、比較的日本に対して感情の良い連中を祭り上げ、そして今までのいわゆる親米主義であり、排日主義である連中を馘してしまったのであります。

 

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