講演
1934年(昭和9年)

支那対日策の将来
(1月13日京都岡崎公会堂における講演会にて)
参謀本部支那班長砲兵中佐
影佐禎昭氏講演 

 

 

一、一つの胴体に首の沢山あるのに似た支那に対する観察の仕方

 

今から「支那の対日策の将来」ということについて、しばらくご清聴を煩したいと思います。一言に「支那」とか「支那の態度」とか申しますが、私の考えでは、観念的にはそういうものはあるかも知れませんけれども、実際上の問題としては、単に支那の態度とかいう風なことは無いように考えておるのであります。と申しますのは、支那というものは一つの胴体に沢山の首がくっついておって、非常なグロテスクなものであるという風に考えております。(笑い声)しかも各々の首が複雑な利害関係をもっております。一つ一つの首は各自相当な考えを持っておるけれども、全ての首を総合したところのいわゆる統一的な意志は無いという風に私は考えておるのであります。一元的に「支那はこういう態度をとっているところがある」という風に単純に考えるのと、私のように、沢山の首が寄り合って出来たものであり、各々の首が皆利害関係が違うのであるから統一的意志というものは無いものであるという風に複雑に考えるのと二つの見方があります。従って支那に対する認識も非常に変わって参りますし、また、政策も違ってくるというわけであります。沢山の首を皆様にご紹介する一つの例として、支那の政府と人民との関係と言う事をお話ししてみたいと思います。

 

二、氷炭相容れぬ関係にある支那政府と人民

 

支那は昔から社会は非常に発達しておるけれども、国家としては発達しておらぬと言われております。支那の社会は皆様ご承知の通りに四千年来培われただけありまして非常に洗練されたものであります。環境に応じて特殊な発達を来しております。支那は今日非常に薄弱な政府を戴いており、また年々内乱に脅かされながら、なおかつ産業が逐次発達してまいります。貿易の総額も年々増加してきているというのは、これすべて支那が社会として非常な発達をしておるからであります。支那が斯く社会として発達を来しておりますのは、国家がまだ発達をしておらぬからであります。国家はもう人民に対しては打ちやり放しであります。つまり支那の歴代の消極的な政府、これが支那の人民をして自ら自分の生存を保障しなければならないという風に余儀なくせしめて来ています。昔からこの支那の政治というものは無為にして化するー何もしないのが政治の理想であります。ただ政府といえば税金を搾り取る機関に過ぎません。一厘でも少なく税金を取り上げるところの政府が立派な政府なのであります。支那が土匪を討伐する、これは討伐しなければ税金が上がってこないからで、また治水工事をやって堤防をつくる、これは氾濫が起こっては税金の上がらぬ場所ができるからするのであって、税府はただ租税の搾取機関であります。従って何もしてくれぬ政府が理想であります。こういう風に支那人は考えておるのであります。斯くのごとき消極的な政治が却って社会の結合を強くして、歳月を経るにつれて次第に発達をしてきたのであります。従って彼等支那人にとりましてはもはや政府などは無くしてもさしつかえない、否、ある方が邪魔になるという風に考えておるのであります。ゆえに支那人は個人としては非常に優秀であるが、国家としては弱いのであります。日本はこれに反対で一も二も政府の援助指導が必要で、政府無しには何事も出来ないのであります。支那の政府と人民との関係は只今申し上げたごとく水と油の関係でありまして、政府はつまり人民から全然遊離している一つの存在に過ぎないのであります。今まで簡単に申し上げました政府と人民の関係、これが一つの胴体にくっついている利害関係の異なった二つの首の例であります。

 

三、群雄割拠の支那と一地方政権に過ぎぬ南京政府

 

一つの胴体に沢山の首が存在しておりますグロテスクな実体の観点をまた変えて観ますと、これは現在の各地方に対立しておるところの、いろいろの政権、軍閥の存在であります。現存しておるこの南京政府というのは各国から承認された中央政府であることは間違いないのでありますが、その実質はただ擬制的な中央政府に過ぎないのであります。仮にこれを中央政府とみなしておるので、実際はただ南京を中心とした数省の血がその首に流れておるに過ぎないのであります。沢山の首の中で多少の大きな首には違いないのだけれども、決して全体の血が流れている首ではないのであります。蒋介石が北伐を致しまして、そして北京を占領して、ここで国民党を背景とした政府を南京に造りました。爾来、蒋介石は国民党を背景としたいわゆる国民党政府ー現在の南京政府、これによって相当内部の建設もやりました。この国民党のイデオロギーは自由主義的なブルジョワ革命ともいうことが出来るのであります。このためにいわゆる旧封建的な勢力は多少崩壊いたしてまいりました。この国民党革命のために相当な崩壊を見たのは事実であります。しかしながら、この国民党政権、すなわち南京政府もまた漸次この他の封建的勢力と同じような軍閥に転換してまいりまして、今や旧勢力と少しも違いのない軍閥に変わってしまったのであります。現在の南京政府の勢力範囲と申しますか、勢力圏と申しますが、その範囲は江蘇省、浙江省、安徽省、河南省、それから湖南と江西省及び湖北省の一部というくらいの数省にすぎません。その他の支那の部分はどうかと申しますと山東省は韓復渠という首が頑張っておる、山西省には閣?山という首がある、広西省には李宗仁というやはり一つの首がある、福建省には最近独立しました十九路軍が頑張っている、広東には陳済棠がいる、四川省には数名の軍閥が年々歳々互いに戦争ばかりをしているという風なわけで、こういう風な御連中は全て南京政府に対して独立ないし半独立の格好であります。南京政府の統制というものは全然こういう地域には及んでおりません。蒙古とか新疆とか、西蔵とかいう風な遠隔な辺境地帯は言わずもがな、甘粛とか狭西省、あるいは雲南、貴州とかいう風な場所には無論南京政府の力は少しも及んでおらぬのであります。

 

四、極度の財政的窮乏に陥った南京政府と全国的分裂の情勢

 

その上には最近は水難が揚子江にたびたび起こる、一方奥の方では旱魃がある、年々内乱が起こる。おまけに悪いことをした天罰に満州事変、上海事変が起こる。なおかつその上には共産党軍が跋扈する、その討伐に軍費の捻出に蒋介石は朝から晩まで頭痛はちまきで苦労しているという風なわけで、そのために南京政府の財政状態は非常な窮乏であります。窮乏を通り越して既に財政的破綻の状態までなっております。今日南京政府の歳費というものはその八割が軍費に使われている、しかも南京政府が出来上がって以来急に膨張した内債は十億元を突破していると言われております。ことに最近は共産党討伐の軍費を集めるために蒋介石は奔走しておりますが、南京政府の台所を承っているいわゆる浙江財閥の金庫からはもう金が出ないような状態になっております。金が出ないからしてなお共産軍の討伐が困難になってきて共産軍が跋扈する。今、蒋介石は六十万の大軍を率いて第五回の共産軍討伐をやっておりますが、これはどうやら失敗に帰した模様であります。共産軍の討伐はどうしても国民党として、また、蒋介石としても是非やらなければならないことでありまして、蒋介石は心血を注いでやっているのでありますが、その実力では今や討伐不能という判決を下して差し支え無いような状態まで陥っているのであります。かくのごとき状態で南京政権大きな首はだんだん退勢を辿っているというのは、これは速断ではないのでありまして、争われない客観的情勢であります。かくのごとく南京政権の首がグラグラし出しますと、その他の有象無象がニョコニョコ持ち上がって来るのは自然の趨勢であります。ついには皆様御承知の通り福建省における独立運動、これがやはり一つの首の持ち上がった現れであります。どうやらこの独立運動は雲行きが最近怪しくなって参りましたが、しかしまた数日前には北京の寧夏府というところがありますが、甘粛省の東北部でもって孫殿英軍が暴れ出したそうだという情報もあります。いわゆる全国的な分裂、この大勢を逐次馴致しつつあるものと考えているのであります。

 

 

 

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